未曾有の豪雨
令和6年7月25日から26日にかけて山形県戸沢村を襲った豪雨は、村全体に甚大な被害をもたらしました。普段は心を癒す豊かな自然が、この日はまるで牙をむくように村民を襲いました。生活を支えていた最上川も、激流となって村に襲いかかりました。
25日の朝、異様な空気と刻々と変わる天候を感じました。やがて避難が始まり、国道も寸断され、災害の規模の大きさを実感しました。村全体が一体となって対策に追われました。
そして午後11時40分、戸沢村を含む最上地域に2回目の大雨特別警報が発令。大雨は長時間続き、26日午前4時ころには最上川が氾濫し、村は濁流に飲み込まれました。
災害発生後、役場の職員は寝る間も惜しんで対応に追われました。徐々に明らかになる被害状況は広範囲に及び、浸水や土砂崩れ、農作物の被害、国道の一部がえぐれ交通に影響が出るなど、村は大打撃を受けました。浸水した地域では消防がボートを使って救助活動を行い、一部地域では停電も発生しました。
地域の絆と応援の力
7月25日午後2時半ごろから役場職員は避難所の緊急対応に追われ、高まる警戒レベルと一刻を争いながら避難誘導を行いましたが、その中には自宅が被災した職員もおり、自身も家族と共に避難所に身を寄せながら対応に当たりました。
日が明け、ようやく片付けに着手出来るようになるも、村役場の建物周辺のあらゆる場所も、長靴が埋まるほどの粘土のような土で覆われ、壁には腰の高さまで水の跡が残っていました。池で飼われていた美しい錦鯉は、溢れた水に流されて姿を消しました。水没により廃車となった公用車がレッカーされ、使用不能となった物も運び出され、瓦礫の山ができていました。村役場には報道陣が詰めかけ、自衛隊の車両や隊員が出動しその光景に言葉にならない恐怖と無力感を感じました。
しかし最も驚いたのは、そんな状況下でも誰一人として泣き言を言わず、黙々と片付けを進める村民の姿でした。そして何よりも心強かったのは全国からの支援やボランティアの方々が駆けつけてくれたことでした。
災害から得た教訓と未来への教訓
災害発生から5日後、被災地の最前線で復興作業に当たっていた自衛隊が撤収。それを目の当たりにした時、いよいよこれからが本当の復興の始まりだと痛感しました。自然の恐ろしさを見せつけられましたが、それを乗り越え、必ず豊かな村を再び取り戻す。道は長く厳しいものですが、村の人々の強い絆と全国からの支援がある限り、必ず再建できると信じています。
これからの戸沢村は、さらに強いコミュニティを築いていくでしょう。皆一丸となって、戸沢村の未来に向けた新たな一歩を共に歩んでいきたいと思います。
そして災害に負けない、より強い地域づくりを行い、自然と共生する未来を目指していきたいと思います。